私とクルーズ
―半世紀を振り返って―
2019年4月から12月にかけて日本海事新聞に連載された同タイトル記事全33回を加筆、修正して収録。書籍化にあたり、書き下ろしエッセイ2本を追加した。外国客船の日本発着クルーズ開拓に貢献した著者が、旅行業界・クルーズ業界における50年余りの歩みを振り返り、日本市場発展の歴史とその舞台裏を鮮やかに語る。
書籍データ
発行年月 | 2021年1月 |
判型 | 四六 |
ページ数 | 172ページ |
定価 | 1,430円(税込) |
ISBNコード | 978-4-303-63424-7 |
概要
クルーズほど楽しく、体力的にも楽でオールインクルーシブ、しかもコストパフォーマンスにとんだ旅行商品はない――とお経のように唱えながら、クルーズ市場の拡大に努めてきました。2013年のプリンセス・クルーズの日本発着クルーズ開始により、ようやくクルーズが身近なレジャーとして市場に受け入れられ、日本のクルーズ市場も50万人台が見えてきたその矢先に、新型コロナウイルス(COVID-19)の発生です。残念ながら「3密」回避の時代にクルーズ船はすっかり敬遠され、クルーズ市場は大打撃を受けることになりました。
(中略)
新型コロナの感染を警戒して世界中で寄港制限する港が多く、客船会社はクルーズの運航中止を余儀なくされていますが、各社では船内の空調施設の改善、ソーシャル・ディスタンスを考慮したパブリックエリアやレストランの使用方法改善、寄港地での検疫検査の充実など、新型コロナ対策に万全を期しています。残念ながらクルーズ先進国の欧米でも、クルーズ市場が戻るのは2021年夏から2022年になるのでは――と言われています。私たちも、その間に何とか官民合わせてクルーズ市場復活のアピールができればと思います。
プリンセス・クルーズから日本発着クルーズの計画を伝えられた時、海外旅行しか知らない私にとって、日本の国内旅行は初めての経験であり、また外国客船、しかも大型客船で長期にわたって日本発着クルーズを運航するということは業界でも初めてのことで、大変なインパクトを与えました。「そんなことは成功するはずはない」という意見と、「新しい市場開拓に期待する」という意見が混じる中で始まったプリンセス・クルーズの日本発着クルーズがここまで成功したのは、国土交通省港湾局、海事局および各地方自治体の港湾関係者、観光庁をはじめ各地方自治体の観光関係の方々の絶大なる協力があってのことと深く感謝しています。
せっかくここまで成長してきたクルーズ市場を衰退させないためにも、まずは国内クルーズ、日本発着クルーズの復活を客船会社、旅行会社並びに官民が一致協力して行うことが重要であると思います。同時に、これからは若い方にも参加しやすい新しいクルーズ商品を開発し、クルーズが若い世代にもシニア層にも、家族旅行にも率先して選ばれる魅力ある旅行商品の一つとなることが重要です。また、多くの若い世代がクルーズ産業に携わり、新しい市場を開拓、拡大していってくれることを願っています。私のつたない経験が少しでもクルーズ市場拡大のお役に立てば幸甚です。
(「はじめに」より抜粋)
目次
1 苦手の数学がない文学部へ
2 最初は旅行会社の受付係から
3 貨客船を探し渡航手伝う
4 破格の7万円香港クルーズ
5 2カ月の休暇が欲しい
6 若い娘さんで大丈夫?
7 ヤサワ諸島クルーズが原点
8 一度も泳がなかったハワイ
9 一番印象に残った南極
10 マルコス大統領と小切手
11 プリンセス・クルーズとの出会い
12 船名入りのスカーフ
13 苦労したQE2チャーター
14 すぐ売り切れた世界一周
15 オペラとベルリンの壁崩壊
16 クルーズバケーション誕生
17 忘られぬ神々の島々巡り
18 震災後、節目の年になった95年
19 私も25年同じ説明している
20 どうしても株を買わないと
21 10年務めた「旅行業女性の会」会長
22 フライ&クルーズ約款の成立
23 話題さらったスタークルーズ
24 「ダイヤモンド」が燃えている
25 「アドバイザー制度」誕生と「Seatrade」
26 一緒に日本市場を拡大していこう
27 老いても凛として美しいQE2
28 中国発着とアラスカチャーター
29 極秘で準備進めた日本発着
30 日本発着前に新会社設立
31 日本発着、海事・港湾両局も支援
32 追加投入で2隻体制に
33 クルーズバケーション再開
思い出に残る命名式(本書書き下ろし)
私と海外旅行(本書書き下ろし)
解 説(みなと総合研究財団 沖田 一弘 氏)
プロフィール
木島 榮子(きじま えいこ)
1941年 東京生まれ。
1964年 慶應義塾大学文学部英文科卒業。
1965年 海外旅行専門会社ニュー・オリエント・エキスプレス入社。
1978年 ヴィーヴル入社。
1992年 クルーズバケーション入社,翌年代表取締役就任。
2012年~2015年 カーニバル・ジャパン代表取締役に就任し,プリンセス・クルーズの日本発着クルーズに貢献。
2016年 クルーズバケーションを再開し現在に至る。