ノンテクニカルスキルの訓練と評価
―実践的指針
安全の実現に大きな役割を果たすノンテクニカルスキル(状況認識、意思決定、コミュニケーションとチームワーク、タスクマネジメント)を獲得するための訓練プログラムを開発・運用する際の指針を、学術的根拠とともに示す。それぞれの産業現場で訓練に試行錯誤を重ねている実務家は、多くの参考となる知見を得られるだろう。
書籍データ
発行年月 | 2021年4月 |
判型 | A5 |
ページ数 | 304ページ |
定価 | 3,960円(税込) |
ISBNコード | 978-4-303-72995-0 |
概要
本書はノンテクニカルスキル(non-technical skill:NTS)訓練プログラムの開発や提供に関わる人々に向けた書籍である。とりわけ、安全と生産性が重要な意味を持つハイリスク産業(high-risk industry)に従事する方々を対象とした。本書は科学的な文献に基づくものであり、適切に機能する訓練プログラム開発のための実践的指針を提供することを目指した。
ノンテクニカルスキルという用語は比較的新しいが、この概念は多くの作業や業務においてはるか以前から存在するものであり、その実践に欠かせないものである。この用語は、これまでクラフトマンシップ(craftsmanship)、シーマンシップ(seamanship)、エアマンシップ(airmanship)などと呼ばれてきた内容の大きな部分を表している。たとえば、公海上で安全で失敗しない海の男であるためには、セールやリギング(索具)を展開して、操縦している船を正しい方向に向ける以上のことがあることは広く知られている。シーマンシップという用語は、単なる技術的航走能力を超えた高い専門能力の本質を表すために用いられてきた。シーマンシップは、天候の微妙な変化を解釈し、乗組員を効果的に統率し、さらに航走を続けることがもはや安全ではないと見抜くような、つかみどころがほとんどないようにも見える、そうした能力を表している。かつてはほとんど神秘的にさえ思われたこれらの熟練者の能力が、今日では実際に定義され、識別され、さらに重要なことに、訓練を通じてスキルとして発達させうることが知られている。このシーマンシップの本質を私たちはノンテクニカルスキルと名づけているのである。
本書の目的は、ノンテクニカルスキル訓練のプログラムを、訓練と評価(assessment)を実践するために効果的で適切だとされている方策に基づいて構築することを通じて、安全と生産性の強化という目標の達成を支援することである。これらのスキルを習得するために、もはや熟練者の下での徒弟制度を通じて長年の経験を積むことは不要である。これまで何十年にもわたり、民間航空、医療、原子力発電などのハイリスク活動を行う組織は、ヒューマンファクターズの専門家と協力して、ノンテクニカルスキルを育成する訓練プログラムを開発し、その妥当性を確認する仕事をして来た。本書は、これらの領域が訓練と評価のための実効あるアプローチを構成するものとして学んできたことを共有しようとするものである。
これまでの数十年間、筆者はヒューマンファクターズの専門家として過ごしてきた。その間、優秀な看護師、民間航空パイロット、外科医、麻酔医、制御室の操作員、鉄道の技術者、そのほか多くの専門家と共同して働く機会を得てきた。その間、ありがたいことに、これらの分野において熟練者になるのに欠かせないものについて、またこれらのきわめて要求が厳しく、多くの場合に高いストレスにさらされた作業場所において、彼ら彼女らが何を成し遂げているかについて、畏敬の念を感じながら学ぶ機会を得ることができた。この過程で、筆者はノンテクニカルスキルが現場における安全(safety at the sharp end)に直接に寄与する様子をつねに目撃してきた。
本書を執筆するにおいては、ノンテクニカルスキル訓練の科学のために尽力し、この分野の学術論文を寄稿してきた実務家や研究者諸氏に大いに刺激を受けた。本書のなかでは、それらの人々による成果の一部についてしか言及できないであろう。しかしながら、本書で参照している論文や図書は、それ自体として重要な研究内容を示している。すなわち本書はこれらの研究成果を統合する試みであり、そのそれぞれの分野ですでに明らかとされた素晴らしい研究成果の小規模な要約として読んでいただきたい。筆者は本書がその目的に向けての実用的な指針となるように意図している。読者のみなさまには、本書を、本文中で言及しているノンテクニカルスキルの訓練と評価に関する各側面に関して、より詳細な研究内容に結びつけるためのロードマップとしても活用していただきたい。
本書は、一面ではノンテクニカルスキルに関して定評のある教科書であるSafety at the Sharp End(邦訳は小松原ほか訳『現場安全の技術』、海文堂出版2012)と併せて使用されることを意図している。Safety at the Sharp Endはノンテクニカルスキル訓練の必要性について説明し、安全なオペレーションに関係するノンテクニカルスキルの主な構成要素について詳細に検討しているが、ノンテクニカルスキルの訓練と評価プログラムの実践上の要点(nuts and bolts)に焦点を当ててはいない。本書は、ノンテクニカルスキル訓練プログラム開発という具体的課題に目を向け、成人学習理論(adult learning theory)という枠組みと、職業の場におけるスキルの訓練と評価の科学という枠組みに基づいて、ガイドラインを提示することを目指している。(「序文」より抜粋)
目次
第1章 ノンテクニカルスキル:入門編
1.1 革命の物語とハイリスク産業の誕生
1.2 業務のシャープエンドにおける安全性
1.3 愚かな人間が私の機械を壊した
1.4 ノンテクニカルスキルの基礎入門
1.5 クラフトマンシップからノンテクニカルスキルへ
1.6 本書の前提
第2章 教室は死んだ:CRM万歳
2.1 ノンテクニカルスキルの訓練の必要性
2.2 それはすべて教室で始まった…
2.3 ノンテクニカルスキルの訓練と評価の正式要件
2.4 合同訓練とチーム訓練
2.5 類似の発展:麻酔に関するクライシス・リソース・マネジメント
2.6 リソース・マネジメント・プログラムの世界的普及
2.7 未来は明るい…
第3章 成人学習の原則とノンテクニカルスキル
3.1 ノンテクニカルスキルの訓練とは何を意味するのか?
3.2 定義に関する問題
3.3 成人学習の原則
3.4 個人の学習スタイル
3.5 学習領域
3.6 コア・ナレッジがスキルの実現に果たす役割
3.7 省察的実践者
3.8 構成主義
3.9 教育の諸段階
3.10 精緻化理論
3.11 認知的負荷理論
3.12 挙動のモデル化
3.13 状況的学習と認知的徒弟制
3.14 エラーの教育的利用:自らの間違いからの学び
3.15 コンピテンシーベースの訓練
3.16 訓練の転移
3.17 成人学習:まとめ
第4章 ノンテクニカルスキル訓練の原則
4.1 はじめに
4.2 ノンテクニカルスキル訓練における段階的アプローチ
4.3 ノンテクニカルスキル訓練の置かれた状況
4.4 複合領域的かつチームベースの訓練
4.5 汎用的で抽象化された方式か、個別的で統合化された方式か
4.6 態度の変容:関連性と重要性の説明
4.7 コア・ナレッジの育成
4.8 ノンテクニカルスキルの育成とリハーサル
4.9 スキル育成と業務においてのリハーサル
4.10 ブリーフィングとデブリーフィング
第5章 ノンテクニカルスキルを評価するに際しての原則
5.1 はじめに
5.2 コア・イネーブリング・ナレッジの評価
5.3 コンピテンシーベースのノンテクニカルスキル評価
5.4 コンテクストのなかでのスキル評価:行動指標
5.5 汎用的な行動指標か、それとも特化された行動指標か
5.6 テクニカルな評価との統合
5.7 危険性評価:合格それとも不合格?
5.8 インストラクターの訓練、評価の較正、評価者間の信頼性
5.9 バイアスと評価におけるエラー
5.10 専門家による評価vs自己評価
5.11 ノンテクニカルスキル・パフォーマンスのデブリーフィング
第6章 教育システム設計
6.1 教育システム設計
6.2 訓練ニーズの分析と具体化
6.3 カリキュラムのアウトカムと教育目標を定義する
6.4 カリキュラム設計
6.5 実装と提供
6.6 訓練プログラムの評価
第7章 状況認識の訓練と評価
7.1 状況認識:入門
7.2 状況認識:ケーススタディ
7.3 状況認識:コア・イネーブリング・ナレッジ
7.4 状況認識:スキル育成
7.5 状況認識:シミュレーションベースの訓練
7.6 状況認識:OJT
7.7 状況認識:訓練前ブリーフィング
7.8 状況認識:評価と行動指標
7.9 状況認識:デブリーフィングとコーチング
7.10 状況認識:主要な文献
7.11 ケーススタディ
第8章 意思決定の訓練と評価
8.1 意思決定:入門
8.2 意思決定:ケーススタディ
8.3 意思決定:コア・イネーブリング・ナレッジ
8.4 意思決定:スキル育成
8.5 意思決定:シミュレーションベースの訓練
8.6 意思決定:OJT
8.7 意思決定:訓練前ブリーフィング
8.8 意思決定:評価と行動指標
8.9 意思決定:デブリーフィングとコーチング
8.10 意思決定:主要な文献
8.11 ケーススタディ
第9章 コミュニケーションとチームワークスキルの訓練と評価
9.1 コミュニケーションとチームワーク:入門
9.2 コミュニケーションとチームワーク:ケーススタディ
9.3 コミュニケーションとチームワーク:コア・イネーブリング・ナレッジ
9.4 コミュニケーションとチームワーク:スキル育成
9.5 コミュニケーションとチームワーク:シミュレーションベースの訓練
9.6 コミュニケーションとチームワーク:OJT
9.7 コミュニケーションとチームワーク:訓練前ブリーフィング
9.8 コミュニケーションとチームワーク:評価と行動指標
9.9 コミュニケーションとチームワーク:デブリーフィングとコーチング
9.10 コミュニケーションとチームワーク:主要な文献
9.11 ケーススタディ
第10章 タスクマネジメントの訓練と評価
10.1 タスクマネジメント:入門
10.2 タスクマネジメント:ケーススタディ
10.3 タスクマネジメント:コア・イネーブリング・ナレッジ
10.4 タスクマネジメント:スキル育成
10.5 タスクマネジメント:シミュレーションベースの訓練
10.6 タスクマネジメント:OJT
10.7 タスクマネジメント:訓練前ブリーフィング
10.8 タスクマネジメント:評価と行動指標
10.9 タスクマネジメント:デブリーフィングとコーチング
10.10 タスクマネジメント:主要な文献
10.11 ケーススタディ
第11章 ノンテクニカルスキルの訓練と評価の将来
11.1 概要
11.2 スキル育成のための、より統合的な取り組み
11.3 スキル育成のための、より目的を絞った取り組み
11.4 新たなテクノロジーの可能性を活用する
11.5 より応答性の高い訓練システムの構築
11.6 分散型システムを横断する訓練
11.7 最後に
用語集
プロフィール
マシュー・トーマス
Central Queens University(オーストラリア)Appleton Instituteの副所長かつWestwood-Thomas Associatesの所長。主な研究分野はヒューマンエラー、ノンテクニカルスキル、インシデント調査、安全マネジメントシステムにおけるデータの活用。現在はオーストラリア患者安全財団の運営委員長、オーストラリア航空心理学会の前会長、航空安全財団オーストラリア諮問委員会のメンバーなどを務めている。
北村正晴
1942年生まれ。東北大学大学院工学研究科原子核工学専攻博士後期課程修了。工学博士。同大学助手、助教授を経て1992年東北大学工学部原子核工学科教授、2002年同研究科技術社会システム専攻教授。2005年定年退職、東北大学名誉教授。現在(株)テムス研究所代表取締役所長。専門は、技術システムの安全性と社会的受容性の向上。
小松原明哲
1957年生まれ。早稲田大学理工学部工業経営学科、同大学院博士後期課程修了。博士(工学)。金沢工業大学講師、助教授、教授を経て、2004年4月から早稲田大学理工学術院創造理工学部経営システム工学科教授。専門は人間生活工学。
中西美和
1977年生まれ。慶應義塾大学理工学部管理工学科、同大学院博士後期課程修了。博士(工学)。東京理科大学工学部助教、千葉大学工学研究科講師、慶應義塾大学理工学部専任講師、准教授を経て、2020年4月から同大学同学部教授。専門はヒューマンファクターズ。
前田佳孝
1989年生まれ。早稲田大学創造理工学部経営システム工学科、同大学院博士後期課程修了。博士(工学)。早稲田大学助手を経て、2017年自治医科大学メディカルシミュレーションセンター助教、2020年から同大学講師。専門は医療安全、人間生活工学。