しまなみ人物伝
日本の歴史は、いつの時代も海と深く関わりながら展開されてきた。本書は、明治・大正・昭和の海運界に身を置き、主体的に生き抜いた人たちを中心に、しまなみ海道に縁のある先人たちの生涯を綴る12編からなる。懸命に海と地域の発展のため奮闘した彼・彼女らが残した足跡は、日本の近代史そのものといえるだろう。
書籍データ
発行年月 | 2015年7月 |
判型 | 四六上製 |
ページ数 | 260ページ |
定価 | 1,980円(税込) |
ISBNコード | 978-4-303-63426-1 |
概要
日本の歴史は、どの時代にしても深く海にかかわりながら展開されています。とくに瀬戸内海では、列島の運命が大きく転換されようとした時期には、多くの歴史的な事件が展開されています。遣隋使や遣唐使が往来したのも、藤原純友の乱が発生したのもこの内海でした。戦国時代には、「しまなみ海道」一帯に水軍とか海賊とも呼ばれている組織の活動も展開されています。
幕藩体制が整備されていった時代に、芸予諸島の経済活動を支えていたのは急速に整備され、大型にもなっていた帆船でした。菱垣回船とか樽回船とか呼ばれた船舶は、内海だけでなく日本列島の全域で活動していました。幕藩体制が崩壊して、日本の近代社会の形成が急がれた時代には、帆船は急速に蒸気船に転換されました。芸予諸島の島々からも、こうした船舶の要員が精力的に輩出されています。幹部船員を育成するために出現したのが国立の商船学校(のちの高等商船学校、商船大学の前身)でした。間もなく多くの府県立の商船学校がそれに続きました。そのうちの数校は現在も国立の商船高等専門学校(工学系学科を含む)として活動しています。
筆者は、明治34年(1901)に村立で創設され、やがて愛媛県立から国立へと変遷を続けてきた弓削商船高等専門学校に、同校が高専に編成がえされた際に着任し、20年あまり勤務しました。その間、在学中の学生諸君と共に海事史研究を進め始め、やがて学芸部の部誌『海事史研究』が例年刊行され、筆者も海事関係史料を集約してこの部誌や学会誌にも発表してきました。この学校を退職後に勤務した岡山商科大学でも海事史の研究を続け、同校退職後も地域の研究会の一員として研修を進めてきました。
この著書でまず登場するのは、まだ幕藩鎖国体制が維持されていた時代に進められた伊能忠敬による尾道および芸予諸島の測量です。
それに続くのは帆船に乗務中、海難事件に直面した漂流船員たちの足跡です。続いて明治・大正・昭和時代に海運界に身を置いて、それぞれ主体的に生き抜いてきた人たちを追跡してみました。懸命に海にまた地域の発展のため奮闘していた先人たちがたどってきた足跡は、日本の近代史そのものなのかも知れません。(「はじめに」より)
目次
第一部 日本の夜明けの時代に
一 伊能忠敬―尾道周辺の測量
二 瀬戸田の仙太郎―幕末の海外漂流
三 永井重助―福宮丸の海難と対米賠償交渉
四 水先人 北野由兵衛―千島艦衝突事件
第二部 未来を夢見た先輩たち
五 田坂初太郎―海運創成期のパイオニア
六 小林善四郎―初代 弓削商船学校長の生涯
七 ビッケル船長―伝道船「福音丸」と弓削商船学校
八 中堀貞五郎―「うらなり君」のモデルと今治
九 浜根岸太郎―初代・二代の生涯
十 濱田国太郎―海員組合草創時代
十一 麻生イト―女傑の生涯
十二 小山亮―嵐は強い木を育てる